技術メモ兼ADHD闘病記

自分がハッカソンなど参加した参加録とか技術を公開していきます。最近はガジェット系やアスリートやアマチュアドライバーやプロドライバーのことも書いています。今後はADHDの闘病記録も書いていきたいと思います。

前を向き続けろ

ども、Hiro_Matsunoです。

正直言うとバックマーカーを見続けてると自分のレベルの調整ができなくなることもある。
そう言う場合はただ前だけを向いて努力をすれば良い。
これって何故だかわかりますか。
バックマーカーばかりを見ていると仕事をしまいには全部振られることになるからなんです。

自分の仕事が終わってからで問題ないと言うことになります。
これ実はスマホアプリ育成のOJTで多々発生していたことなんです。
結局はできないのに本人は出来る振りでほとんどは俺が組んでいたことがありました。
要因はHTMLとCSSの組み付けがうまくいかないから何もできないと言うことだけなのにね。
これって嫌と言うほど本があるので読めば独学できますよ。
俺はPHP職業訓練で先攻で学んでいたので簡単にできましたけど普通は独学でも十分できることです。
HTMLのIDやクラスとCSSのIDやクラスを調整してあとは自分の操作したいことを書き加えるだけのことができない人結構多いんですね。

そのあと自分は二つアプリ完成させることになるのですが。
できない人は頼ってくるんです。
なぜかと言うとできる人に頼っちゃうから結局自分で解決できなくなってしまうんですよ。
三つ目が例の2年半かかっても仕様追加が多くて難関のアプリだったんですが。
本当あれには悩まされました。
最初はPHPだけでいくつもりでしたがいただいた元のプログラムを見たら大量なコード量で結局はハンドスクラッチ出来ない状況でした。
そこで考えたのは追加の部分はフロントエンドはHTMLとJavascrptのみにしPHPはバックエンドの処理をさせるだけにした訳ですが。
そっちの方が早く動くんですよね。
何故かわかりますか。
全部PHPで書いてしまうと処理は一向に重くなるだけです。
やらなくても良いフロントエンドまで処理することになるんですね。
どれだけの無駄が発生するかというとコードを間違えるだけでサーバを一台フルに使っちゃうことになるんです。
要は負荷分散をさせないといけないと言うことになります。
残りのPHPで全処理している部分を本当は書き換える必要があったと言うことですが放置しました。
余裕がなかったんです。
どうなったかと言うと負荷分散まで考えられていない部分と負荷が分散されている部分に分かれてしまっていました。
放置を決定したのは何故かというとその部分が一番コードが厄介だったと言うことです。
フロントエンドのコードは簡単に書き替えられてもバックエンドのコードが難解だったと言うことなんですね。
やりきれない気持ちがあったので失敗を宣言したのです。
二通りのロジックが動くプログラムなんて駄作でしかないんです。

言えることは全部を書き換える必要があったと言う事実を知った時点で全部やり直しを宣言をやるべきだったと言えるのです。
そうすればスッキリしたシステムが出来上がったと言うのが事実なんです。
だから人数を常に要求していたんですが最終的には1人でほとんどのロジックを作ると言う人が驚愕するようなシステムを盆暮正月ゴールデンウィークなしで組み上げていたので限界が見えてしまったんです。
これだったら俺でも4年はかかると思った時点で打ち切りを決めました。
本当しんどかったですね。
明けても暮れても開発の毎日の上さらに仕様追加ぶっ込んでくるからさらに設計は難易度をさらに上げていくんですからね。
前を向き続けるしかなかったんですね。
次の会社に引き継いだ時は当然大口論でした。

怖かった開発で学んだのは理解しながらも前を向き続けない限り開発は終わらないと言うことでした。
本当はソフトピアジャパンの財団の方からjQueryの講師やってほしいと言う依頼もありましたがお断りしました。
時間と余裕がまるでなかったんです。
全部開発に割いたです。
本当このシステムは疲れました。
肝臓は壊れていきそうになりましたし、上司にタクシーがわりに使われ毎回お客様のところまで行くと言う事態になってましたが。
行ってみたら仕様追加の話してる始末です。
止まらない訳だわ。

本気で怒りましたね。
最終的にはその上司(社長)にお前の次の戦略俺が考えるなんて嫌だとブチ切れました。
何故かと言うと本人は考える気がないと言うことなんですよね。
美味しかったやりたいと言う気持ちがわかってしまいました。
流石に俺も堪忍袋の尾が切れてしまいました。
前向きに仕事していて次のことまで考えることまで振ってきたのは確実に怒りを感じましたしその上司と心中したくないですからね。
正直に親会社の社長に報告して退社させてもらいました。
親会社の社長は実は馬渕さんでした。

本当はしんどくても前向いていれば報われる場合はあると思います。
その次の仕事もしんどかったけどスクジューリングでリカバリできてましたから。
ソフトウェアの限界も見たことありますし勝手仕様変更で7割て戻ったプロジェクトにも参加したこともありました。
最後の組み込み系スマホアプリでは仕事量に耐えられなくなり思考障害起こしました。
だけどそれは今は多動抑制の効果でほぼ出なくなってきています。
言えることは色んなことをしていかなければならない時は決断しなくていけないこともあるし相談しないといけない部分もあるってことです。
それができてさえいればいいんですけどね。

あぁ長々書いちゃった。
ごめんなさいね。

Hiro_Matsunoでした。

では。