技術メモ兼ADHD闘病記

自分がハッカソンなど参加した参加録とか技術を公開していきます。最近はガジェット系やアスリートやアマチュアドライバーやプロドライバーのことも書いています。今後はADHDの闘病記録も書いていきたいと思います。

街録チャンネルを見て思ったこと

ども、hiro_matsunoです。

街録チャンネルを見て思ったことは障害を持って生まれたり障害を発生してしまった人たちは何故ここまで追い込んでしまうのだろうと思ってしまいます。
俺も未熟児で発達障害言語障害を持っていましたが小学2年生の3学期に克服できました。
その後31歳で鬱にはなったが緩解しました。
36歳に拡散アナログ治療を行い今は慢性B型肝炎寛解していますし免疫もできています。
言えることは自分でやれることっていっぱいあるってことです。

俺は今ADHDだが正直言ってADHDにも色んな形態があることがわかっています。
そのうち4つを俺は並列発生していることがわかっています。
アスペルガー・衝動障害・多動障害・HSPを発生確認できている状況ですね。
多動と衝動は多動抑制でHSPは読書会を自分で行うことで克服を行なっています。
ホンクレチャンネルのまりてんが持っている境界型障害も実はADHDです。
多動抑制できれば難なく生活はできると思います。
克服できなくても今は多動抑制剤もあり治療技術も発展しているんです。
このあたりをしっかりとサポートしてくれるチーム作りも大切です。
俺はすぐに作りました。

大人のADHDの原因はストレス要因と子供の時に受けた行動とも言われています。
俺の場合発達障害言語障害双方とも持っていたと今は判断できます。
実は先週金曜日に書いているが出生から4歳の時までの記憶が一部欠落していることが最近分かりました。
最近気がついたのは岐阜大学附属病院に検査受けに行った時にプレイルームこと臨床心理士室でのIQ検査をしていて思ったことはものすごい違和感と不安感に襲われてしまったのです。
そこで気がつけばよかったんだが幼少期に精神病院などに専門機関で検査受けていたことだけはわかりました。
どこの病院なのかが思い出せない。
何故障害が見つかったのかを知らない限り父や姉の断片的な記憶だけではどうしようもないんです。
母から伝え聞いた情報では難しいんです。
これは多分養育記録があるはずなので月曜日に子安くんに相談し水曜日に岐阜に専門機関があるので一緒に行ってもらい調べてきたいと思います。
ここを乗り越えない限り90%以上の克服はできないと思っています。
これはみんなに隠してきたことだ。
家族にも当然隠していた。
気づいているなんて思いもしないと思う。
その先に一歩踏み出すことが一番大切なことなのかもしれないです。
そのためにnoteの執筆者としてADHDについて書いて解明しようとしていると思います。
元職のエンジニアの癖で物事を調べ書き起こすことをやってしまうからだと俺は思っているんです。
正直いうとみんなを助ける手段は俺が握っているかもしれないです。

言えることはまず治療兼支援チームを作ってしまうことが一番大切なことです。
俺の場合すぐに作り始めました。
チームを真っ先に作れは競技プログラミングの一つであるハッカソンから学んだことでもあります。
今でも東海トップランカーと付き合いがあり先々週の土曜日に会ってきました。
一人は毎年IBMからインフルエンサーエバンジェリストに表彰されるIBMチャンピオンの常連者で俺の役割を引き継いだ三浦くんであと二人はMashupAwards常連でもあり第2回中京テレビハッカソンで優勝した青島さんと瀬谷さんです。
俺が今でもnoteの発信などクリエイティブな活動できるのは彼らのおかげでもあります。
上田さんに会いたかったなぁ。
上田さんはハッカソンファシリテーターでもあり中京テレビハッカソンの提案者でもある人でありこの四人がこれからの東海のハッカソンを引っ張っていくことになります。
彼らも重要な存在でもあるんです。
いつか戻ってきたりしてなんて言われちまいましたが。
一ヶ月に一回彼らとは交流を続けていく予定です。

何故医療兼支援チームを作らないといけないかと言うといざという時に機能させることができないからなんです。
信頼のできるチームを作っておけば克服中に精神的なダメージを負っても助かることが多いですしね。
今のチームは
・職安の障害就職案内の皆さん
心療内科
・就業支援相談員
・就業移行支援事業所
・社労士
となっている。
何故それだけ必要なのかというと自分で動こうとしてもできないところを支援してもらう必要があるからです。

就労支援相談員の子安くんには驚かされることがあった。
彼は元看護師だったのです。
ケアマネや介護福祉士もとっている優秀な人だったのです。
最初から信頼を置いていた自分にもびっくりしたくらいだった。

色んな縁がつながっていけば救われないと思ったものが救われるということもあるってこと。
今の社労士の田中先生は一番最初に電話かけた社労士事務所の所長さんが気をかけてくれ教えていただいたのです。
GCC大垣校の曽木先生も子安くんもそうなんだけどチーム全体がバックアップしてくれる。
安心して克服に向けて頑張っていけると言えます。
明日から気持ちを変えて頑張っていこうと思います。

hiro_matsunoでした。

では。