技術メモ兼ADHD闘病記

自分がハッカソンなど参加した参加録とか技術を公開していきます。最近はガジェット系やアスリートやアマチュアドライバーやプロドライバーのことも書いています。今後はADHDの闘病記録も書いていきたいと思います。

だいぶんスッキリしてきた

ども、hiro_matsunoです。

そう言えばもう一つ思っていることがあります。
人から来たら奇人変人かも知れない。
本人は気にしてますよ。

なんか衆人環視の感じが近所で見られるような気がしてきました。
意識的にノイズキャンセルイヤホンで遮断してるんですけど俺は逃げたりはしないんで呼びかけてください。
人間関係をフラットにしたいんで。

正直なところ幼稚園時代に北小学校に言語障害専用の教育施設が新設中だったので越境して興文小学校に通ってました。
恥ずかしいと言うことはなく母親に送ってもらってました。
偶然にも先生は北地区の方だったんです。
本当に優しい先生で幼稚園児だった俺は色々と学ばせていただきました。
その後北小学校に戻るのですが厳しかったですね。
と言うのは切羽詰まってしまったのです。
早めに治さないと養護学級に編入の可能性があったのです。
必死になって治して2年で一般学級で生活できるレベルまで言語レベルを上げることが出来ました。
ただしこの時に夏休みの宿題が難しく算数が3桁の引き算ができなかったためみっちりしごかれてしまい算数・数学が不徳になってしまうと言うトラウマを抱えてしまいました。

実はこれって話が今につながっているんです。
俺って実はコミュケーター型なんです。
即座にメモることが元から不得意だったんです。
話し合い→断片メモ→文書まとめのタイプだったんです。
高校時代や専門学校時代がその典型でした。
高校時代は頭の悪い奴が俺のノートを写していたのですが大半は学力落ちてました。
なぜなら断片メモからノートを全て書き上げる前にメモってしまうから暗号チックなんですよね。
それをメモった人間は成績落ちるわねといったことが起きてました。
まぁ、しゃぁないですけどね。
当時からそう言う事をしていたなぁと思いました。

これをやる人はどう言う人なのかと言うと頭のいい人がやることなんです。
以前天才肌の社長の下で働く機会がありましたが見てみたら暗号状態のメモです。
分かるのかと聞いてみて驚いたのは全く同じ人格だったんです。
聞いてからまとめるタイプなんですね。
俺も同じだったので同類やなと思いましたがその社長悪い癖があったんです。
仕事が実験場と思っている節がありました。
仕事を平気で詰め込むんです。
『耐えられるのかの実験場じゃないよ。仕事は。』と思います。
このタイプって天才肌の人が多いんです。
マジでガッカリしてしまったのでその後IT業界を離れてしまいました。
これは稀なケースなんですが。
本当にこのタイプの上司は心が折れてしまうんですね。

俺が最後のIT系の仕事の上司は実験型ではありましたがとっつきにくい人でした。
俺もそうなんですが一辺倒に仕事を振り捌き切れるか試すタイプの人でした。
やっぱり俺が悩んだのはどこまでやり切ればいいのって感じと今では当たり前のリモート勤務を先行してしまう上司でした。
そこで起きたのがどのように指摘すべきだったのかと言う事をしっかりと準備できていなかったんです。
完全的なコミュケーションミスです。
なぜ起きたのかと言うとその時に何をしていたかなんです。
その時やっていたのはダイレクトメモなんですね。
ワンクッション置かないといけない俺がダイレクトにメモれるわけが無いんです。
当然聞き漏らすんです。
聞き漏らしの量が多かったんです。
本来のコミュニケータータイプで仕事していた場合は当然防げたことなんです。
メモしなきゃと思いガチガチになってたんです。
メモ強迫性障害となったわけです。
同じような失敗を3年間失敗しづつけたあまりADHDとなってしまっています。
本来のスタイルを矯正したための失敗なんです。

コミュニケータータイプの場合は自分のアウトプットで理解するんです。
昨日気づいた時に本来のスタイルが成功していたのに完全否定した俺自身が大失敗を犯していたわけです。
すげぇガッカリして昨日の一番最後の記事の憔悴した状態になってしまったわけです。
何回も仕事のやり方を切り戻すのなんてもの凄く精神的に疲れるんです。
もうやりきれなくなっちゃったんです。

またこの内容を含めたリハビリを考えないといけないですね。
また頑張ります。

hiro_matsunoでした。

では。