技術メモ兼ADHD闘病記

自分がハッカソンなど参加した参加録とか技術を公開していきます。最近はガジェット系やアスリートやアマチュアドライバーやプロドライバーのことも書いています。今後はADHDの闘病記録も書いていきたいと思います。

これは簡単では無かった

ども、Hiro_Matsunoです。

実際に復帰できるまでの道は簡単では無かった。
最初は治していくときのプロセスが簡単では無かったということ。
最初はどこが壊れているという認識をする必要があった。
そこまで行くプロセスがまたその部分も治してかなければならなかった。

ぼやきながらひたすらウォーキングしたりこのブログを書いて行ったりしていた。
noteを描き始めた頃から徐々に原因特定ができ始めたと言える。
そのために必死になった。
答えはスティーブ・ウォズアニックが持っていたのだ。
Appleを作ったもう1人のウォズが実は思考障害を克服した人でもあったのだ。
彼は重度の頭脳の損傷を抱えていたが治した実績があったのだ。
ここにヒントは隠されていた。

先に必要な部分を治すことが肝心だったのだ。
それはものを考え作り出すことを繰り返すことだ。
これができるのはアーキテクト脳でしかできないってところだった。
偶然俺も持ち合わせていたのだ。
そこから本来の力を出すために必死に思い出す日々が始まった。

新しいことを始める事も必要だった。
NFTやメタバースやパレットアートだった。
これらを始めることでプロセスが出来上がり始め頭で考えることが再開できるようになってきた。
多動も抑制することがその頃には多動抑制剤を使ってだができるようになった。
なかなかその中でもきつかったことは低血圧と徐脈だった。
この二つは多動抑制剤の副作用だが徐脈は生まれ持っていたものだった事も分かった。
合わせてマインドブルネスを始めるとともにそれを徐々に黙想持っていくことで心を落ち着かせることに成功している。
全てが揃ってついにIT業界に必要な機能改善を行なっていった。
ついにそれが全部揃った。
あとはそれが本当に出来るかだが道のりは長そうな気がする。

なぜならその部分はこれから治していく状況だからだ。
常に考えながら自分でプログラミングをしていくことをやっていかなければならないということでもある。
多読も必要になるし自分の精神コントロールはまだ不完全な部分があると思う。
これは実社会の中でやっていかないといけないということだ。
本当に長い道のりだと思う。
だけどその中でコミュニティを作り出すことができれば戻ることができると思う。
必死にならなければならないのはこれからだと思う。

ここまでくるのに約2年かかっている。
それを取り戻していかないといけないと思う。
これからがまた自分と向き合う生活が続くと思う。
また俺は普通に生活するにはやはりプログラミングと共になければならないという事も分かったような気がする。
ウォズは物作りで戻して行ったが俺の本当の姿はソフトを作り続けることでできると思われるからだ。
発展途上なのは分かっているがこれからが本来の自分を取り戻すきっかけになると思う。
頑張り通すのが俺なんだろうと思う。
さぁ、来週から頑張ってくる。

Hiro_Matsunoでした。

では。