技術メモ兼ADHD闘病記

自分がハッカソンなど参加した参加録とか技術を公開していきます。最近はガジェット系やアスリートやアマチュアドライバーやプロドライバーのことも書いています。今後はADHDの闘病記録も書いていきたいと思います。

参ったなぁ。息が上がる。

ども、Hiro_Matsunoです。

うーん🤔。
息が上がってしまっている。
流石に徐脈にはフル稼働させようとするのは多少難しいかな。

ストレッチをやるようにしたんだが。
徐々に息が上がるようになってきている。
やはり寝てる時の方が徐脈で急激に脈が上がるからだと思われる。
悩ましいことだ。

多分これは9/16になんだかの判断が出そうな気がする。
色んなことを悩んできたけど。
一番これがつらいのかも。
寝てる時は完全徐脈で起きてからは通常脈拍まで戻しあとは定期的に徐脈になる。
この状態がずっと続くのであればなんだかの手段を取る必要が出て来る。
昇圧剤が飲めれば一番楽なんだけどなぁ。
相当な覚悟がいる。

どうするんだろうな。
一体主治医たちは何を今考えているんだろう。
そこが読めない。

そう言えば思い出したことが一つものすごい俺の人生で一番辛かったこと。
仕事中に頼りにしてきた人を亡くしてしまったこと。
あのことは20年経っても忘れることができない。
あの人は今の俺だったのだ。

あの事件当時は香典は出すにしてもお通夜はみんな出なかった。
なぜなら裏のことを知っていたからだ。
相当忙しい客センから配送センターに移動させられていたことを俺たちは知っていたからだ。
それを隠す必要があったからだ。
コールセンターとネットワークセンターはコネクションが深い。
あの人はしかもコールセンター時代SVだった。
ネットワークセンター非音声監視チームのボスである俺はいつもあの人と話をし各人に振り分けたり当時ついた人間の対応について話したことがよくある。
しかも25から28歳の俺と50代のあの人といつも話し合い討議していつも互いのチームをコントロールして来た。
一番大変だった時期だったのだ。
ちょうど非音声サービスが始まり管理し始めた頃からの仲間であった。
本当に亡くなったとき思ったのは何かできなかったのかと言うことだった。
後日談で知ることになったんだがあの人身体障害者だった。
気がついてあげてればあんなことにはならなかったと思う。
当時の身障者の扱いは酷かったと言うことなのだ。
いわば左遷されていまいそこで順応ができなかったために亡くなってしまった。
俺たちはそれを知ってしまったのであの人の事件だけは忘れたことはない。

悲しかったし仲間がそう言う形で亡くなって行くのはこれからも嫌だと思っている。
こう言ったことを減らしていけることが一番重要なことだと俺は心から思う。
小出さんあんたのことまだ忘れてへんで。
色んなこと話し合ったしやってきたもんなぁ。
あのことはネットワークセンター側も立ち上げから一気に対応できるまでに引き上げる途中だったし俺も苦労していた。
時には障害のおかげで1時間も仮眠が取れなかったこともあったけれどなぜ耐えれたのかと言うと裏で同じようにコールセンターが頑張ってくれていたからなんだよ。
そうでなれけば名古屋での監視の最後まで残ることができずやめていたと思う。

小出さん今度絶対お墓参りに行きたいので奥さんに連絡とるね。
俺たちはその義務がある。
俺はあんたを忘れられないんや。
俺も精神障害を持ってしまったからなぁ。
今年は本当に行きたいと思う。

Hiro_Matsunoでした。

では。