技術メモ兼ADHD闘病記

自分がハッカソンなど参加した参加録とか技術を公開していきます。最近はガジェット系やアスリートやアマチュアドライバーやプロドライバーのことも書いています。今後はADHDの闘病記録も書いていきたいと思います。

今思い悩むこと

ども、hiro_matsunoです。

今思い悩むことはいっぱいあります。
なぜと聞かれるといっぱいありすぎて書き切れるか自信がない。
それだけ悩みがあるんです。

俺はクリエイター兼メンターとして動くことになると思いますが。
なぜメンターを増やしたのかと言うと今まで培ってきたものを次へ引き継ぐと言うことが大きな仕事であることなんです。
どうやれば良いロジックが組めるのか。
エラーやバグの原因はどこにあるのか。
タイムラインの組み方など色んな分野に関する知識を持っている人は引き継ぎはしっかりとして若手を育てる必要があるからです。
最近の若手はインターネットからの情報取得はうまいですが上面しか見えてないことが多いんです。
その先を見れるようになってほしいからメンターをやりたいと尾崎にメンターを引き受ける話をしました。

本心は自分で会社作っても良いんだけど尾崎の会社でメンターになりたかった。
それは尾崎の会社を作る時のメンタリングしていたのにもその当時の仕事が忙しく辞めることができず立ち上げるまで一緒にできなかったことを今でも悔やんでいたからなんです。
尾崎からDMが来た時に感じたことは無償でも良いからメンターとして若手を育てたいと言う気持ちがあったんです。
クリエイターにシフトを切るのも良いけどその前に若手に自分の経験を引き継がないと言う思いがあったからなんです。
メンターは何かというと常に隣にいて教えることであり時には
・プログラミングを書くこと
・ロジックの書き方を教えたり
・設計の仕方
・サービスの立ち上げ方
色んなことを教えるということでもあります。

俺にはもう一つ特殊な部分を教えることができるんです。
それは施工や会社の立ち上げ、店舗の立ち上げなども知らない間に自分で身につけたものもあります。
施工の仕組みは施工検査の大元になる検査成績書を作っている上で部署のみんなの仕事を見てきたからこそ知ることができた知識でした。
実は尾崎の会社を立ち上げを途中で諦めたのはこの大元を作る作業をしていたからなんです。
いつも営業からは電話が止みませんし自分から連絡をしたり調整が常に発生する業務でもあり同じ工場内にある部署との連携も行っていました。
これを元にお店の立ち上げなども知ることができたわけです。
施工があって物の設置があってプレオープンして開店という形になるわけです。
昔の仕事から知りえたことがあるってことなんですね。

メンターとして頑張っていきたいですし本来私はまだ一部欠けている部分があるんですけどそれを取り戻すための就労移行支援施設に通うべきかをすごく悩んでいます。
今の就労支援制度では副業禁止なんです。
就労支援を受けながらメンターをしていきたいと思っていた俺がすごく甘かったのかと思うことが多いですけどやはり就労支援を受けながら出来ることサポートできる形を考えていきたいと思っている部分があるんです。
あとCode for Japanの話もありますし色んな形で頑張る姿を見せることもありなんかなと思うんです。
本当に言えるのは支援だけで良いのかと感じる部分が多いと思うんです。
これが今一番思い悩んでいることです。
なぜ収益が出たら即サービス停止なのか?
これが疑問がいっぱいなのです。
普通だったら就労していることもありなんじゃないかなと俺は思いますね。
まぁフラットに考えられないこともあるのかもしれませんですけど知識を教えることができるのであればみんなで共有すれば問題はないと思うんです。
これ間違いですか?

なんかすごく今悩んでます。
就労支援相談員の子安さんには黙らず経緯を全て話しましたが解決を図るには結局は自治体の障がい福祉課との話し合いといった方向に向かうのではと思っています。
降って湧く話が多くなってくると悩むことが増えてしまうんです。
苦しむことではないから良いんだけどこのまま今の障害をひきづったまま仕事につきながらできるのだろうかという悩みが多いんです。
偶然双方とも知り合いでもあり自治体に関する仕事をしていると言うところもあり就労支援相談員も就労移行支援施設も話やすいといったところに行くことが今はできているので安心はしていますが相手は自治体なんです。
話しやすければ良いですが上に話をしに行くたび重さが増して行くんだろうと思うんです。
今の俺に耐えられるんだろうか?
心配ですが辛抱強く相談していきたいと思います。

hiro_matsunoでした。

では。