技術メモ兼ADHD闘病記

自分がハッカソンなど参加した参加録とか技術を公開していきます。最近はガジェット系やアスリートやアマチュアドライバーやプロドライバーのことも書いています。今後はADHDの闘病記録も書いていきたいと思います。

阪神・淡路大震災を語る

ども、hiro_matsunoです。

そう言えば今日は阪神・淡路大震災の日です。
この日のことは今でも覚えています。
しかも今のようにネットワークやSNSも無い電話・ラジオ・テレビが主体だった時代の話です。

携帯もまだ持ってる人が少ない時代です。
普通に電話が主体だったんです。
直接電話番号を教えてもらえない時代だったので人力で安否確認を行う事態でもありました。
当然その当時被災地以外にも大阪も被災している状況でした。
特にひどかったのは神戸・淡路島・尼崎・明石・西宮・芦屋などの神戸地域はほぼ壊滅状態だったんです。
俺の同期も何人かは無くなっている状態でした。

しかも当時は成人の日は1/15でした。
悲しいことに阪神・淡路大震災は成人式の2日後に起きた出来事でもあります。
当時俺も含め成人式で集まってそれからボーリングに行き飲みに行くことが当たり前の時代でした。
飲みに行くことができなかったメンバーが俺含め4人いたわけですがそのうちに一人が神戸大に通っていた同級生がいたのです。
その人から後日当時の話を聞いたわけですが。
本当にショックするしかない話でした。

当時彼は助けが来ない状況で下敷きになった人たちを救ったり亡くなった人を瓦礫から掘り出したりしていたそうです。
聞いたときには身の毛がよだつ状況でした。
本当に虚しさを感じました。
その当時は気になる人は直に車で現地に行ってしまうなど本当に交通障害が起きてました。
救助隊や救急車などの支援が間に合わない状況なので地域住民の力で救助活動をするほかない状況だったそうです。
それもあり疲弊する生活をしていたそうです。

なぜ名前を書かないのかと言われるのかもしれませんが彼は今は現役の岐阜県職員さんなのであえて書きません。

言えることは情報が枯渇したりすると人はどうなるのかと思うと情報を求めいろんな行動に出ると言うことと避難所も壊滅すると言った状況もあったと思います。
当時の画像などを見ると未だに現地の「人と防災未来センター」に行くたび足がすくむと言うか涙が溢れ泣き崩れてしまうんです。
力のなさと限界を感じてしまうんです。
東日本大震災熊本地震大阪北部地震と経験していくわけですが情報が収集できる状況になっていくことによって今の俺自身を作っていくことになります。
本当に言えるのは阪神・淡路大震災から教訓を得たことが活かされているんです。
情報は常に流れてくるのでクライシスマッピングなどの活動がしやすくなりました。
情報関連のボランティアにも参加している状況です。

Hack for Japan→Code for Japanに引き継がれている脈々と流れるボランティアの流れがあります。
私も
・Hack for Japan
・Code for Japan
・IT-DART
に所属しています。

これからの課題も多くありますが。
努力して解決できるよう頑張っていく予定です。

hiro_matsunoでした。

では。