技術メモ兼ADHD闘病記

自分がハッカソンなど参加した参加録とか技術を公開していきます。最近はガジェット系やアスリートやアマチュアドライバーやプロドライバーのことも書いています。今後はADHDの闘病記録も書いていきたいと思います。

どうしてエンジニアを辞めたのか

ども、hiro_matsunoです。

このことにはっきりとした理由を書いていなかったと思います。
何故ITエンジニアを辞めたのか。
これは実は残念ながらIT技術常に進化をしていることが要因です。
岐阜大学医学部附属病院でIQを調べた時に74とプログラミングをしていく上で限界以下のIQに落ちてしまっていたからです。
皆さんは知らないと思いますがIQ70以下は精神障害者扱いになります。
そのギリギリラインであったためこれ以上の負荷をかけられないということでエンジニア職をすぐにでも辞めてくださいと岐阜大学医学部附属病院の主治医から指示がありました。

そのあと自閉スペクトラム症が発症していましたと報告受けました。
そのあとそれだけではないような気がしてADHDの追加検査を依頼しました。
最終的には自閉スペクトラム症はほぼ完治しており問題はADHDということになりました。
要因は多動でした。
俺は興味を持つとなんでも習得したがるやばい習慣があったんですがそれがまさかのエンジニア人生を縮めた要因でした。
7つのプログラム言語を操れてしまうことがあだになったんです。
まさかこれがね問題になるとは思いませんでした。
常に新しいものを追っかけるのも多動の要素発動させるきっかけになるようです。
ハッカソンでトップを取ろうとすると常に新しい技術を追っかけてしまうこれが最大の要因だったんです。
怖くなった人多いと思います。
俺の場合は色んなプログラム言語を操りサービス作りたいなぁと思っていたのが要因です。
3つのプログラム言語に限定して作るシステムを作れば問題ないようです。
言えることはハッカソンで勝とうとして新しい技術を追っかけすぎない。
限定した中で新しいサービスを作り出すと言えば青島さん的タイプが一番良いと思います。
俺みたいの新しいものを追っかけたい人間はエンジニア生命を縮めることになるので気をつけてください。

俺もびっくりでしたわ。
まだ5つプログラム言語覚えて対抗してやるなんて思ってましたからね。
結局は限界を超えて脳を使いすぎた結果がADHDの多動性症状となった訳です。
結局エンジニアをすぐに辞めないと頭脳が持たないということになりリタイアとなりました。
これが俺がエンジニアとIT業界をほぼいることを難しくした要因です。

HTML5は優れていましたが一番の問題はフロントエンドプログラミングに問題を抱えていたんです。
何人かタイムラインの技術の開拓に挑んだんですがほぼ撃沈状態でした。
結局俺も苦しみましたがようやく突破が出来たんです。
でも旧技術も使わないと突破できない現状でした。
tableタグで突破口を開くという方法を使うほかなかったんです。
作りおわた後は燃え尽きてました。
ひょっとしたらこの時点でADHDは発現していたのかもしれませんね。
今はもっと効率の高い方法があるとは思いますがもう作る気しないですね。
それが多動を産んじゃってとまらなくなり精神崩壊するでしょう。
災害マップを使いやすくするプロジェクトは俺自身がADHDになった時点でプロジェクトクローズです。
ほとんど設計まで入っていたんですが書き出そうとすると限界突破して精神崩壊し障害者になっちゃいます。
よってプロジェクトごと封印します。

これが今の俺の現実です。
軽いものなら大丈夫だけどフルスタックはもうできないんです。
フロントエンドも軽いものしかできません。
ノーコードならかろうじてできるでしょうけどカスタムやオプションが出てきた時点で限界ですね。
ちゃんと分かっていただくためにこの記事を書かせていただきました。

Webクリエイターなら何故楽かというと技術的にもそんなに劇的な変化がないんです。
一度マスターして仕舞えばその技術でほぼ構築できるのです。
安心して仕事も続けられるって訳です。
だから選びました。
今後はWebクリエイターで生きていく予定です。

hiro_matsunoでした。

では。