ついに四次元ポケット開放
ども。
ついに自分の4次元ポケット開放しました。
本来の書き方を書いてしまいました。
これって異端児と思われることが多いんだけどキー項目が一致してると楽なんですわ。
連想配列使ったキーの2次元利用。
最大4次元までいけるかな。
今入られている方がキーを全て一致させているからこの手が使える。
正直言って連想配列使えないと大学生に言われた時引きましたわ。
普通だったらもう既に組めなければならないコードだから。
最近の大学生って色んな人に教えてもらえていいなぁと思いましたよ。
元々自分が5年前にほぼ封印したコードなので。
今だとスラスラまた欠けてしまう。
JSONオブジェクトだと連想配列化楽ですからねぇ。
本当これ覚えておいた方がいいですよ。
使うと楽できますから。
今日もバリバリ書いてきました。
ども。
今日も早い書き方に徐々になってきているように感じてきます。
色んな言語の書き方を織り混ぜてみたりとか( ͡° ͜ʖ ͡°)。
真似ちゃダメですよ。
これは言語をはしごしてきた人間でしかできない。
VBから始まりhtml・PHP・Java・JavaScript・jQuery・C#・Pythonと走ってきました。
しかもライブラリは山ほど作ってきたわけではないですけど。
データベース系や配列高速化など青島さん程ではないですが書いてきましたから。
今になってプログラムの神がまた自分に降りてきました。
約6年ぶりの神に再会です。
ここまで鬼になってコーディングするのって久方ぶりですね。
明日は18時半に切り上げてサイボウズに行ってきます。
また強者どもに会ってきますわ。
実は離れた時は正直…。
ども。
実は一回IT業界から離れたときのことですが。
副作用が激しく半分死にかけてました。
でも、帰ってきた。
自分が命を削って気が狂いながら書いたコードが実はGithubに置いてあるコードです。
本当にあのコードを書いたとき本当に調子がおかしくなり苦しい状況でした。
胃も腸も肝臓も全てが調子狂っていた。
食べれない時や爆食するときもあり、気が狂いそうだったんです。
だから一回離れて自分の体調を整えたいと思ったので実践した。
一般職に3年半いて思ったことは実は伴野さんが引き戻してくれたから。
でも、あの時でも半分は戻るつもりはなかった。
あのときの荒々しいけど劇速のコードが書けているのは苦しいキツい。
と思いながら逃げなかったから。
今思うとあのコードは奇跡だったと思う。
だいぶんあの感覚が自分に降りてきつつある。
でも、怖いことは18日の検査結果聞いてまた俺自身逃げるんじゃないかなと思う。
なんかあのコードは神がかりなんだからなぁ。
本当にマジであのコードはもう書きたくないと思い逃げてきたので何故急に降りてきたのかはわからない。
何故あのとき燃え尽きたのかは多臓器不全の症状だったからかもしれない。
拡散アナログ治療を始めて3年目から4年目の出来事です。
あの時は朝の空腹時に薬を飲んでいた。
俺はもう嫌だと思い実は今はこっそり薬の飲み方を変えている。
それは早朝に飲んでいるのだ。
だから調子も戻ってきた。
たまにグッタリもするけど今は本当に戻ってきたんだと思う。
また食も細くなる時もたまにあるけど頑張る。
慢性疾患と闘うウェブエンジニアってどう思いますか?
ども。
あまり技術ブログでは扱っていないネタもこっちは扱います。
自分はハッカソンにオープンソース業界にITボランティアなどに勤しむウェブエンジニアです。
ですが、みんな知ってるのであえて書いてませんでしたが。
実は1/31は特別の日です。
それは母親の命日。
実は母親と自分と兄貴は同じ病気です。
それは慢性B型肝炎です。
私自身それに気がついたのは母親が亡くなって1年が経とうとした17歳になりたての時、高校時代の頃です。
実はその時は見える形のボランティアをしていたのである時悪友どもに誘われ献血のボランティアをしに行きどうせだったら献血していかないと言われ献血した時に検査を行うときに見つかりました。
当時はcareerだったのであまり気にしていませんでした。
もちろん22で社会人になったのですがその時から暴飲暴食が始まりました。
恐ろしく呑んでました。
ビールは大ジョッキで駆けつけ三杯・日本酒・ジントニック・バーボンで締めてました。
ひどい時なんかウィスキーや泡盛まで手を出してました。
24歳から26歳まではそれに加えてタバコも出勤時には一箱吸ってました。
そんな生活していたら27歳の時にアトピーになりました。
皮膚科の主治医が今、岐阜大学の皮膚科に見える清島先生にこっそり自分のB型肝炎キャリアであることを伝え年一回のB型肝炎の抗原抗体検査を依頼しました。
29歳の年に悪さがたたりB型肝炎が慢性化しました。
それからは半年に一回検査という経過観察が続きました。
36歳10ヶ月である症状に気がつきます。
疲れが全然取れないんです。
不安になって急遽病院へ検査したところ投薬治療を今からでもいいから開始しなさいということになりました。
36歳11ヶ月で投薬治療開始になりました。
その当時の主治医は名古屋大学・豊橋市民病院などで活躍されている山本先生でした。
強く推されたため緊急に拡散アナログ投薬治療ということになりました。
5年間にわたり酷い副作用に悩まされました。
頭痛や微熱・胃や腸の痙攣に悩まされました。
胃痙攣は以前から持っていたので胃カメラと思いましたが。
実は胃カメラも飲めないのです。
胃カメラの口に含む麻酔にアレルギーがあったことを後から気がつくのですが胃カメラができないと伝えました。
投薬3年目から造影剤を使ったCTを撮るという精密検査になりました。
それは3回撮ったのですが直後不調が続くようになり3年前から造影剤を使ったMRIを撮るようになりました。
今は不調がなくなり楽になりました。
去年の8月にようやくセロコンバージョン(非活性状態)になったのですが拡散アナログは一生物の治療です。
今週の火曜日(2/4)に造影MRIの検査に行ってきます。
でも、私はエンジニア頑張りたいと思います。
今年の12月でついに46歳母親が亡くなった41歳を5歳超えると言うことになりました。
そしてその前月である11月には拡散アナログの治療10年目になります。
実は飲む薬が劇的に増えているということ。
実はたまに調子を崩すため皮膚科から出ている薬が2剤・消化器内科から頭痛薬と筋弛緩薬・胃潰瘍どめ・抗コレステロール剤など増えてます。
しかも、時には帯状疱疹が出てしまうので抗生物質も出ています。
いつもはこんなことを書かないのですが新コロナウィルスの存在から元気そうに見えるが実は慢性疾患患者がいることを知ってもらいたいためあえて技術ブログの中で書かせてもらいました。
One Japan Hackthon × Tokaiに当選しました。
ども。
One Japan Hackthon × Tokaiに当選しました。
仕事忙しいのに嬉しいことがいっぱい。
頑張らないといけませんなぁ。
仕事もプライベートもドタバタです。
しかもアーバンデータチャレンジのビルドアップもあるので超忙しです。
プライベートプログラミングもアイデア出しも本業プログラミングもガチで突っ走ります。
やっと本来の自分なので頑張ります。
さぁ、2月・3月は忙しいぞぉ。
やっとトラウマから抜け出す。
ども。
ADITトラウマがやっと吹っ切れました。
なんで3ヶ月かと言うと後ろの事業部カーエレ。
DENSOという言葉を聞くたびビクビクもん。
それと慎重にことを図らないとと言う臆病癖がADIT時代についてしまって抜け出せない状況だったので…。
やっとここはDENSOではないと心に言い聞かせ動くことができました。
何故かデータの取得部分でこれ全部一緒じゃねぇかと思った途端吹っ切れました。
ADIT時代の超短納期地獄の上慎重さも求められたこの怖さが…。
なかなかこのトラウマから抜け切らなかったんですね。
いつもはハッカソンではいつもチャレンジャーなのに仕事ではビビリでしたね今までは。
もうビビリはなくなりましたのでバリバリ仕事でもプライベートでもハックしますよぉ〜。